<文献ログ> 漂泊無限 『おくのほそ道』の結び 大垣の章
大垣に行ってきた話
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大垣について色々語ってる
芭蕉の俳句とか、蕉風な俳句の勢力圏とかについて
木因という、大垣の有名な俳人がいた
野ざらし紀行は、木因を訪れるのが目的だった
おくのほそ道では、なぜか出なかった
色々説があるけど、まあ出さなくても成り立つ
これが、結びを簡潔にしたかったっていう意思を表す
大垣は蕉風の俳句の基地であった
成立圏の中心
故郷のような場所でもあった
なぜ大垣が📕おくの細道の終着点?
本当の故郷で旅が終わってしまうと、常住漂泊=永遠に旅をするみたいなのテーマにそぐわない
でも中途半端な場所では終われない
というわけで、故郷みたいだけど本当の故郷では無い、みたいな場所で終えた
しかもそこから旅がさらに続くことで、人生は旅感を出す
結びに必要なのは?
簡潔で引き締まった感じ
主題をもう一度扱う
(今回の場合)旅は一応終わりながらも無限に続くような印象を与える
📕おくの細道で、大垣についてから結構色々あった
なぜそれらをほとんど本文に書かなかった?という疑問
文章について
「蘇生の者に会ふがごとく」
旅が死の色をおびてたことを逆に表してる
ただ、これを芭蕉自身が言っちゃうのはちょっと違う
なので、周りの人がそういう反応だったって言ってる
「旅のものうさもいまだやまざるに」
ある種の自嘲的な
旅を続けないといけないみたいな
「蛤の ふたみに別れ 行く秋ぞ」
別れの際に即興で読んだ句とされる
結構手の込んだ凝った句だけど、あんまりそんな感じがしない
軽妙さ、さらりとした感じ
「蛤の」と「二見」は枕詞っぽい関係
本来は玉くしげと二見が枕詞、それのパロディ
たまくしげはエレガントな言葉、それに対して俗語的な蛤を使う
「二見」と「蓋身」の掛け詞は、西行がすでにやってたりする
それを真似した
西行を追うことは、おくのほそ道の重要なテーマだった
さらに、「蛤の蓋」を「見に」という読み方もできる
天才では?
#常在漂泊
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